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球春の軌跡 県勢のセンバツ史

<playback(1)>1925年 松山商初Ⅴ 四国球界「一大躍進」

2018年3月13日(火)(愛媛新聞)

 

 

 

 

 優勝校に愛媛代表で最初に名を刻んだのが、1925年の第2回大会の松山商だ。愛媛新聞の前身、海南新聞と愛媛新報は「海南覇者遂に優勝」「光輝ある優勝旗を獲得」の見出しで偉業をたたえた。

 松山商は夏の全国中等学校優勝大会で19年から6大会連続出場し上位入りするなど、すでに全国の常連校となっていた。選抜大会も第1回から2年連続で出場。前年に完成した甲子園球場で全国12校が参加した第2回大会は、準決勝までの3試合で計24得点を挙げるなど打棒が振るった。決勝の相手は創部以来、北四国地区でしのぎを削り合った好敵手の高松商(香川)。愛媛新報は「四国球界の一大進境!」と盛り上げた。

 日本一を懸けた注目の四国対決は「接戦亦(また)接戦の火花の如(ごと)き戦ひ」(海南新聞)となった。投手戦でスタートし拮抗(きっこう)したゲームは中盤以降に動いた。五回表、松山商は捕手のミスで2点を失ったが、七回裏に連打と死球で2死満塁とし、1番中川武行が走者一掃の中越え三塁打を放って3―2と逆転に成功。尻上がりに調子を上げた投手の森本茂が2安打15三振の快投でリードを守り切った。

 当時はまだラジオの実況放送がなかったため、地元松山のファンは海南新聞本社前の掲示板に「黒蟻(あり)の如く」押し寄せ、戦績を問い合わせる電話に「係員は応答に休む暇もなき忙しさ」だったという。

 「老婆泣き若者躍る劇的シーン 雪崩れ寄った観衆はさながら観楽極致の大音波を現出」。海南新聞は、地元に凱旋(がいせん)したナインを迎える県民の熱狂ぶりを伝えた。甲子園大会で春2度、夏5度の優勝を果たし「夏将軍」の異名を取る松山商の栄光の1ページ目は、春に刻まれた。

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