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2020
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この人の物語 えひめ

第1部 病と共に<2>仕事継続 息子のため

2020年4月23日(木)(愛媛新聞)

自宅で薬を飲む岡田行美さん(左)。服用は2時間おき、近くの小規模多機能ホーム「ウェルケア高浜」の職員が確認に来る

自宅で薬を飲む岡田行美さん(左)。服用は2時間おき、近くの小規模多機能ホーム「ウェルケア高浜」の職員が確認に来る

 「せめてあと5年、病気の進行を遅らせて」―。25年前にパーキンソン病を発症した時、岡田行美さん(70)=松山市=は、特別養護老人ホームに勤めながら、女手一つで一人息子を育てていた。当時は県外の大学に通う2年生。社会に出ても一人で生きていけるよう、大学院まで行かせたい。病気のことは、誰にも内緒で仕事を続けよう。孤独な闘いが始まった。

 その頃、収入の半分を息子への仕送りに充てていた。月4~5回の夜勤は体力的に厳しかったが、夜勤手当は魅力的だった。勤務は午後5時から翌朝の引き継ぎまでの十数時間。職員3人で数十人のお年寄りの世話をし、午前5時には一斉におむつを交換した。岡田さんはパーキンソン病の症状を抑えるため、決められた時間に薬を飲まなければならなかったが、それさえも難しかった。

 周囲には「甲状腺の病気」と偽った。パーキンソン病を悟られないようにと、意識して人一倍動き回り、家に帰るとぐったりしてソファに倒れ込んだ。「なぜ私だけ、こんなつらい目に遭うのだろうか」という思いにもとらわれ、夜あまり眠れなくなった。ようやくまどろむと、決まって恐ろしい夢を見た。感情がまひしたようになり、そばで誰かが楽しそうに笑っていると、「どうしてそんなに笑えるの」と不思議な気持ちに。自分だけ彼岸にいて、現世にいるその人たちを眺めているような気分だった。

 診断から2年後、特養の施設長に打ち明けざるを得ない日が来た。2泊3日の研修旅行。病気を知られることを警戒し「不参加」とした。理由を聞かれ、仕方なく事情を話した。どんな処遇になるかとヒヤヒヤする岡田さんに、しばらくの沈黙の後、施設長は言った。「今までつらい思いをしてきましたね」。病気のことは秘密にすること、夜勤から外さないことを約束してくれた。「でも、仕事がきつくなったら、いつでも言ってください」と念を押しながら。

 1998年3月、息子は大学を卒業、大学院へは進まず就職した。これからは、自分一人が食べていけるだけの収入があればいい。施設長がさりげなく夜勤シフトなどを配慮してくれていたのも、ありがたいが心苦しかった。岡田さんはいったん全部リセットしようと、特養を辞めた。「頑張らなければ」とずっと張り詰めていた心が、少し軽くなった。パーキンソン病と診断されてから、2年7カ月が過ぎていた。

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