
時をかけるCAPY エフナン南海放送ラジオ、ラジオリポーターの50年

電波の状態は良好。リハーサルも済ませた。午後3時20分。さあ、中継のスタートだ。「CAPY中継の時間です。今日、宇都宮郁美さんはどちらに行かれてるんでしょうか。郁美さーん」。「はい。きょうはですね、伊予郡松前町にやってきました」
エフナン南海放送ラジオでおなじみの「CAPY(キヤピイ)」。ラジオリポーター兼ドライバーとして県内のあちこちを訪ね歩き、旬な情報を送り届けている。
2016年から務める宇都宮さんは、第35代・86人目のCAPY。「選ばれた時にそう言われて『そんなに長く続いているなんて』と重みを感じました」。今年は1972年のCAPY誕生から、ちょうど50年。時計の針を逆回転して、いつもは「キヤピイカー」で駆け回っているCAPYたちの「時」をさかのぼってみる。(坂本敦志)
■CAPYの名付け親

スタジオでのお披露目に臨むCAPY1期生の7人(森田光子さん提供)
「南海放送のラジオ部門に“CAPY(キャピー)”と呼ばれる女性ドライバー・キャスターが登場する。無線設備を持った乗用車“キャピーカー”を走らせ、スタジオでの会話か録音だけだった従来の番組に、直接現場からのナマの声を入れようという四国では初、全国でも三番目というユニークな試みだ」(原文ママ、以下引用は同じ)。愛媛新聞の72年4月1日の紙面にこんな記事がある。
「キャピー・カーには車本体よりも高価な無線が取り付けられ」「水色のツーピースのキャピー二人が乗り込む」「若者たちのあこがれの“カッコイイ”スタイルだ」。力の入った表現からも、注目の取り組みだったことがうかがえる。
当時、南海放送でプロデューサーだった東川稔さんが振り返る。「テレビ放送が始まり、ラジオを活性化をしないといけないということで企画されました。走る放送局みたいなイメージですね」。最初の募集には100人以上が応募したそうだから、若い女性にとっては憧れの職業のようにまぶしく映ったのだろう。

CAPYの名付け親、東川稔さん。CAPYや卒業生の活躍がうれしくたたまらないと目を細める
「CAPY」の名付け親でもある東川さん。放送局では「パピプペポ」を入れたら印象に残る名前になるといわれており、それを念頭に言葉を組み合わせたそうだ。「キャスターと無線のピーという音の合成でキヤピイ」というのが公式発表だが・・・
【愛媛のラジオ史の一大絵巻。このあとCAPY1期生に当時のお話をうかがいます。そして50年の歴史を引き継ぐ宇都宮さんの思いとは】