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2022
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墓マイラーの世界へGO!! 後編・愛媛の偉人の墓を訪ねて

 

伊丹十三記念館

伊丹十三記念館

 

伊丹十三記念館

伊丹十三記念館

 

 自分の人生に影響を与えた偉人らの墓を感謝の気持ちを込めて巡礼する「墓マイラー」。前編では、言葉の生みの親で国内外を巡礼する文芸研究家のカジポン・マルコ・残月さん(54)=大阪府在住=に魅力を語ってもらった。後編は筆者が墓マイラーの世界に触れるべく、カジポンさんお薦めの県内の墓を訪ねた。砥部町にある愛媛ゆかりの映画監督親子の墓で、取材を進めると父を慕う子の思いが込もった墓だった。(松本尚也)

■お接待が最高の思い出

 

伊丹万作、十三親子が眠る砥部町麻生の東向山理正院

 5月下旬。松山市から車に乗って国道33号を砥部町方面に向かうと、右手の山の麓に目的地が見えてきた。砥部町麻生の東向山理正院の墓地だ。

 映画監督の伊丹万作(1900~46年、松山市出身)と、その長男で同じく映画監督の伊丹十三さん(33~97年、松山南高卒)の墓がある。万作は「赤西蛎太(かきた)」「国士無双」など、十三さんは「お葬式」「ミンボーの女」などの作品を残している。

 カジポンさんは、万作への思いと墓参した際の思い出をこう語っていた。  ―万作さんは、太平洋戦争が終わった翌年に亡くなったが、亡くなる前、戦争に対する言葉を残している。「多くの人が、今度の戦争でだまされていたと言う。みながみな口をそろえてだまされていたと言う。だます者だけでは戦争は起こらない。『だまされていた』と言って平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう」。今はロシアの多くの国民が、国が発信する情報をうのみにしているといわれる。きっと戦争が終わった時に、国民は「だまされていた」と言うと思う。本当にプロパガンダにだまされてはだめだ。万作さんの言葉は重い。

 カジポンさんは墓参りで出会った住職夫妻の温かい人柄にも触れた。「大阪から来たと言うと、温かいお茶とアイスコーヒーとようかんでもてなしてくれた。帰り際には、乗る車がカーブを曲がるまで、深々と頭を下げて見送ってくださった。お接待文化がこれなんだと感じた」。四国の墓巡礼の中では最高の思い出だったという。

■墓参の動機=故人の魅力

 

住職の奥さんに万作、十三さんの墓の場所を教えてもらった

 

 筆者も墓地に着き車を降りる。山の斜面を見上げると多数の墓が並んでいる。万作・十三親子の墓はどこだろう。カジポンさんと同じように住職夫妻を訪ねた。納経所で「ごめんください」と声をかけると、住職の奥さんが出てきて、墓地の地図を広げて墓の場所を教えてくれた。

 奥さんによると、墓に直行する人もいるが、筆者のように場所がどこか聞きにくる人が年に数人はいるそうだ。県内外から訪れ「監督の映画が好き」「十三さんのエッセーを読んで共感した」など墓参の理由もさまざま。生前、マルチに活躍した故人の魅力が伝わってくる。著名な映画監督が「先輩の墓を参りたい」と訪ねてきたこともあったという。

 ちなみに、砥部町で暮らした詩人・坂村真民さん(1909~2006年)の墓の場所を尋ねる人もいるそう。残念ながらここにはなく、坂村さんの墓は松山市道後湯月町の宝厳寺にある。

■抜群のロケーション

 

左が「池内義豊」と刻まれた万作の墓、右の墓には十三さんが眠る

 万作・十三親子の墓の場所を確認し、現地へと向かう。急な坂道を上り、カジポンさんのホームページ「文芸ジャンキー・パラダイス」(https://kajipon.com/)に掲載された写真も見ながら歩を進めた。すると、多数のお墓が並ぶ一番端っこ、他の区画とは違い低木に囲まれた場所に、万作の本名「池内義豊」の名を刻んだ墓が立っていた。供養塔を挟んで右隣には十三さんが眠る「池内家累代之墓」もあった・・・

ついに見つけた2人の墓。この地に選んだのには、十三の並々ならぬ思いがあった

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