愛媛新聞ONLINE

2023
128日()

【一番町インテリジェンス】自民党平成会とは何だったのか 元愛媛県議・藤原敏隆氏25年目の告白

2023年11月13日(月)08:00

トップ画像

 

「藤原敏隆」。氏の名前が愛媛県政の表舞台から消えて、どれぐらいたつだろう。大学卒業後、読売新聞東京本社の政治記者として活躍。1991年、40歳で愛媛県議に初当選。「若手のホープ」(98年の愛媛新聞より)として名をはせた。
中でも特筆すべき業績は98年、35年にわたり一枚岩を保っていた県議会自民党を割り、新たな交渉会派「自民党平成会」を結成したことだろう。
新会派を立ち上げ、それを認めさせるための執行部との激しいやり取り。さらには平成会と当時の伊賀貞雪知事との関係を「友好的対立」というポジションで落着させること。この難事に、藤原氏が理論的、実践的に中心的役割を果たしたことは衆目の一致するところだ。
ただその後の平成会は、加戸守行知事が誕生した99年知事選の対応をめぐりわずか8カ月で分裂。藤原氏自身もその知事選に出馬し落選、衆院選出馬・落選を繰り返し、政治から身を引いた。
平成会、そして藤原氏はあの時代、あのひとときのみ咲くことを許されたあだ花だったのか。2023年は平成会の結成・分裂から25年。いまは「一農業者」として西条市に暮らす72歳の藤原氏が当時を回顧した。(坂本敦志)

 

自民党平成会 県議会活性化を目指す政策集団として1998年1月、自民党県連の1、2期県議18人で旗揚げ。県連内で賛否の激しい議論、対立を経て、議会内交渉会派として正式に認められ、一枚岩態勢を誇ってきた自民党県連が、35年ぶりに県議会内で分裂した。 平成会結成は、県議らの意識改革を促進。質問戦で提言型質問が増えるなど議会活性化の加速につながったが、99年知事選をめぐる各議員の路線の違いが顕在化し、約8カ月で解散した。

■最初は伊賀さんを評価していました

 

1991年の県議選で無投票初当選。支持者とバンザイする藤原さん

 

今回、藤原さんが平成会の記録として執筆した「保守王国の崩壊 平成十年政変の真実」(創風社出版)を読み返しました。県政がダイナミックに動いた当時の熱気が改めてよみがえりました。書いていないこと、書けないこともありますけどね。ただ、結構きわどいことも書いたのに、誰1人「事実と違う」という話はなかった。記録として客観的に書けたという思いはあります。

当時の県議や同志の方と、お会いになることはあるのでしょうか。今はもう全然ですね。皆さん当時の記憶がだいぶ薄れたせいか、国政選挙や県議選では「お願いします」とか言ってくる人もいます。農業のこともあるんでね。自民党、野党にかかわらず、農業問題をしっかりやってくださいよとお願いするので、関わりができることもあります。

25年もたちましたから、書いていないような話もしていただければと思うんですけれども。改めて発端から伺います。当時、藤原さんは伊賀県政をどのように見ていたのでしょう。伊賀県政については平成会のメンバー18人、県議1期生と2期生でしたが・・・

    残り:4928文字/全文:6211文字

    有料記事のためデジタルプラン購入が必要です。