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轍を掘る 愛媛の過去をたどって

愛媛の歴史を日々切り取っている愛媛新聞は、227万本近くの記事のほか、写真、紙面をデジタル化して活用している。「轍(わだち)を掘る」では、興味深い過去記事を再取材して、忘れられた愛媛の記憶を呼び起こしていく。

曽我鍛が生まれ育ち、晩年を過ごした鴫山地区。かつては美しい段々畑が山あいに広がっていたが、今は木々に覆われている=8月21日午後、西予市三瓶町鴫山
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- 2020/9/28 反戦記者の苦悩<8>若者の死 批判封印も心中に怒り 1939年1月から伊予新報でコラムを再開した曽我鍛(きとう)は、軍部や戦争への批判を封印した。その後の記事では「銃後国民も試練に耐える覚悟……
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- 2020/9/27 反戦記者の苦悩<7>怒濤の中で 統制 かき消される叫び 伊予新報のコラムが特高警察に問題視された曽我鍛(きとう)は、どんな空気の中で執筆していたのだろう。愛媛新聞データベースで伊予新報の紙面を見……
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- 2020/9/26 反戦記者の苦悩<6>消えた記述(下)現実的議論許さぬ規制 引き続き、伊予新報の曽我鍛(きとう)が1年半断筆するきっかけになったコラム「山荘随観」を読む。 孫の健(73)=八幡浜市国木=は、曽我のス……
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- 2020/9/25 反戦記者の苦悩<5>消えた記述(上)廃刊の重圧 突然筆絶つ 1937年夏は、日本の大きな曲がり角だった。7月7~8日、中国・北京郊外の盧溝橋で始まった日中両軍の衝突は日中戦争に拡大する。松山市からも……
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- 2020/9/24 反戦記者の苦悩<4>風雲急 軍の政治介入、鋭く批判 1930年代の日本は、軍部が台頭し国際的孤立を深めた時代だった。32年、五・一五事件。33年、国際連盟脱退。36年、二・二六事件。37年7……
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- 2020/9/23 反戦記者の苦悩<3>国際人の危機 光る先見性 信念曲げず 1931年の満州事変で日本を取り巻く国際情勢が決定的に悪化していたころ、曽我鍛(きとう)は廃刊した伊予日日新聞から大阪毎日新聞松山通信部に……
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- 2020/9/22 反戦記者の苦悩<2>平和の希求 友から得た国際的感覚 大正から昭和初期に活躍した新聞記者曽我鍛(きとう)は1879年、西予市三瓶地域の山あいにある鴫山地区に生まれた。実家は富裕な農家で、幼い頃……